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東京高等裁判所 平成8年(行コ)82号 判決

千葉県鎌ヶ谷市鎌ヶ谷二丁目一七-三

控訴人

野口一郎

右訴訟代理人弁護士

大森浩一

千葉県松戸市小根本五三番地の一

被控訴人

松戸税務署長 阿部公雄

右訴訟代理人弁護士

相川俊明

右指定代理人

小濱浩庸

関澤節男

河村康之

峰岡睦久

右当事者間の所得税更正処分等取消請求控訴事件について、当裁判所は、次のとおり判決する。

主文

一  原判決を取り消す。

二  被控訴人が控訴人に対して平成三年一二月二四日付でした平成元年分所得税の更正処分及び過少申告加算税額を金一九一万三〇〇〇円とする賦課決定処分を取り消す。

三  訴訟費用は、第一、二審とも被控訴人の負担とする。

事実及び理由

第一当事者の求めた裁判

一  控訴人

主文と同旨

二  被控訴人

控訴棄却

第二事案の概要

本件は、平成元年度の控訴人の所得税申告において、控訴人所有の原判決別紙物件目録記載の土地(本件土地)の譲渡所得について、控訴人が居住用財産に該当するものとして確定申告したのに対し、被控訴人が居住用財産に該当しないとして、更正処分(本件更正処分)と重加算税の賦課決定をしたところ、控訴人が被控訴人宛の異議申立て(結果は異議申立て棄却)及び東京国税不服審判所長宛の審査請求(結果は賦課決定処分のうち過少申告加算税一九一万三〇〇〇円超過分の取消、そのほかの審査請求棄却)をした後、本件更正処分と賦課決定処分のうち審査請求により取り消された部分以外の部分(右の過少申告加算税分の賦課決定処分)(本件賦課処分)について、これらは本件土地が居住用財産に該当しないという誤った判断に基づく違法な処分であると主張して、被控訴人に対し、各処分の取消を求める事案である。

原判決は、控訴人の請求を棄却したので、控訴人から不服申立てがあった。

本件の争点は、原判決の指摘するように、控訴人が譲渡した本件土地(その一部が本件建物の敷地)が本件確定申告について適用される当時の租税特別措置法三一条の四第二項第三号に定める居住用財産であるか否か及び本件土地が同法三五条一項に定める居住の用に供された家屋の敷地の用に供されていたか否かであるが、それは、右の条項によれば、本件土地の譲渡(平成元年七月一八日)の三年前の日(昭和六一年七月一八日)の属する年(昭和六一年)の始めである昭和六一年一月一日まで、本件建物が控訴人の居住の用に供されていたか否かにより定まるものである。

そのほかの事案の概要は、次に記載するほか、原判決の「事案の概要及び争点等」に記載のとおりであるから、これを引用する。

(控訴人の当審における主張)

原判決は、本件建物が昭和六一年一月一日まで控訴人の居住の用に供されていた事実は認められないと認定したが、事実を誤認したものである。控訴人は、昭和三二年以来昭和六二年一二月末まで本件建物に居住していた。昭和五六年以降の本件建物の利用状況は、次のとおりである。

控訴人の次男文朗は、経済力がなかったため、控訴人の援助で昭和五六年二月に新妻の八重子と共に本件建物の二階を新居とし、控訴人は、本件建物の一階に居住していた。ところが、文朗は、一年足らずで妻を顧みなくなり自宅に寄りつかず、五八年の松の内に八重子は実家に帰った。したがって、その後は、次男文朗の家族は、本件建物に居住していない。そして、控訴人は、本件建物の二階に居住していたものである。また、昭和五七年末頃、控訴人の長男光一郎は、控訴人の援助を受けて本件建物の一階で通いで小料理屋を開業したが、昭和六〇年九月には閉店している。したがって、その後は、長男も次男も本件建物にいないのである。控訴人は、自己所有の建物を利用するのに家族に対して遠慮する必要はなかったのであって、従前から本件建物を居住用に利用していたのであるが、このように長男及び次男を援助するために本件建物を利用させたが、長男及び次男は、短期間の利用後利用しなくなったのである。そして、家族が利用しなくなった後も、控訴人は、本件建物を居住用に利用し続けたものである。

また、控訴人は、タクシー営業、民謡愛好家としての活動、交遊、税務処理、医療給付の受領等々の社会生活を営むためにも、本件建物をその生活の本拠として利用し、ここに住民登録をしてきたのである。このように本件建物は、控訴人の生活全般を支える居住用建物であったのであり、これを否定する原判決は、誤っている。

第三当裁判所の判断

一  当裁判所は、控訴人は少なくとも昭和六一年一月一日まで本件建物に居住していたものと認められるので、本件土地が控訴人の居住用財産に該当しないことを前提としてされた本件更正決定及び本件賦課処分は、違法であって取消を免れないものと判断する。

その理由は次のとおりである。

二  証拠によれば、次の事実を認めることができる。

1  控訴人は、昭和二八年八月二六日妻みよ子と婚姻し、両人の間に二男一女を儲けた(甲五)。

2  控訴人は、昭和三二年頃本件土地建物を買い受け、本件建物に妻子と共に居住するとともに、本件土地にあった工場で二幸鋼材店を経営したが、昭和四〇年頃に倒産し、タクシー会社に勤務の後、昭和四三年に個人タクシーの事業免許を受け営業を始めた。免許を受けた事業区域は、東京都特別区、武蔵野市及び三鷹市であった。控訴人は、週二回の割合で本件建物の近くの東部個人タクシー事業協同組合の事務所に出頭し車両整備を受けたりタクシーチケットの交換などの営業上必要な業務を行い、組合事務所の直近にある組合指定の給油所で頻繁にLPガスの補給を受け、また本件建物の至近距離にある駐車場に駐車していた。勤務の携帯は、午後一時頃から三時頃まで働いた後、一旦休憩し、午後七時頃から翌朝明け方まで働くというものであった(甲一、二、一五、一六、一七、二九、三二、三四、控訴人の当審供述)。

3  しかし、控訴人とみよ子との夫婦仲は悪くなり、みよ子は、昭和四四年頃本件建物を出た。残された控訴人は、長男や次男の通学する中学校のPTA役員や町内の消防団員などを務め、子らの養育に当たった(甲六、一〇、一一、一三、一四、三二、控訴人の当審供述)。

4  昭和四五年に長男光一郎は、高校を中退して料亭に住み込みで見習いに入った。その後、次男文朗も中学を卒業して、料理人としての修業に出た。昭和四九年に控訴人は、斎藤昭子名義で千葉県松戸のアパート小川荘一〇一号室を借りたが、これはその頃傾倒していた民謡の指導者となるための稽古場とするためであった。そして、その頃控訴人の長女は、母と共に住むようになった(甲六、一八、一九、三二、控訴人の当審供述)。

5  昭和五六年に、次男文朗は結婚したが、経済力がなく、控訴人は、これを援助するために次男夫婦を本件建物の二階に居住させた。このとき控訴人は、本件建物の一階に寝るようになった。ところが、次男文朗は、必ずしも身持ちが定まらず、家族を残して家に帰らないこともあって、同人の妻は、昭和五八年始めに実家に帰り、次男家族は、本件建物の二階に居住しなくなった(甲二四、二七の一ないし四及び九、三二、控訴人の当審供述)。

6  他方長男の光一郎は、昭和五七年末に本件建物の一階に控訴人の援助で小料理屋を開いたが、昭和六〇年閉店した。光一郎は、小料理屋時代も本件家屋には寝泊まりせず、昭和六〇年の閉店後は勿論居住していなかった(甲三二、五〇、控訴人の当審供述)。

7  控訴人への郵便物は遠い昔から一貫して、本件建物に配達されていて、本件建物に居住していた控訴人はこれを受けとっていたし、また、控訴人は、本件建物で次男文朗に対するクレジット会社等の取立てを受けたため(取立ての書類を控訴人が所持している。甲二七の一ないし九)、やむを得ず、文朗の債務を同人に代わって弁済した。控訴人は、従前から一貫して本件建物の所在場所に住民登録をしており、本件建物を、タクシー営業、債務負担とその弁済、民謡愛好家としての活動、交遊、税務処理、医療給付の受領等々の社会生活を営む本拠としている(甲一、二、九の一ないし三六、九の三七の一、二、一五、三三、三四、三六の一、二、三七、三八ないし四〇、四一の二ないし六、四二、五一ないし五三)。

8  控訴人の所有する不動産は、本件土地並びにその地上の本件建物のみであった。

以上のとおり認められ、これらの事実によれば、控訴人は、同居する家族に変遷はあったものの、昭和六一年一月一日まで生活の本拠として本件建物に居住していたものと認められる。

三  被控訴人は、控訴人の前妻みよ子や子らの供述(乙八、一九ないし二一など)を根拠に、控訴人が昭和四二年以来本件建物に居住せず、昭和四九年頃からは松戸の小川荘に居住していたと主張する。しかし、控訴人と前妻や子らとの間には長年にわたる家族間の激しい対立葛藤があったことがうかがわれるのであって、それらの者の供述をただちに信用することはできないものといわねばならない。

また、被控訴人は、本件建物の小川荘一〇一号室における電気、ガス、電話等の利用状況からみて、控訴人は小川荘に居住していたものと認められると主張する。

本件建物における電気の使用関係をみると、昭和六一年一月以前の資料はない。東京電力との契約は、昭和六一年七月二二日に一旦廃止され、同年八月二八日再使用契約が結ばれ、同年一二月頃使用不能状態となり、昭和六二年二月三日控訴人の次男文朗が再契約をし、同年一二月二三日廃止された。この間の電気料は、昭和六一年一月から七月までは、一か月一六〇〇円から二五〇〇円程度、同年八月から一二月までは、一か月九〇〇円から一七〇〇円程度、昭和六二年一月の使用料は〇であり、同年二月は一か月三〇〇円程度、同年三月から八月までは一か月一二〇〇円から一六〇〇円程度、同年九月、一〇月は使用料が激減し、同年一一月、一二月の使用料は〇である(乙二、甲四八、乙二一)。

本件建物に設置された電話の使用状況は、昭和六二年八月分以前のものは不詳であり、同年九月から一一月までは基本料金一八〇〇円のみであり、昭和六三年二月以降は利用休止となっている(甲四七)。

小川荘一〇一号室の電気の使用関係は、斎藤昭子名義で契約され、サイトウリツヨ名義の口座から料金が支払われているが、昭和六〇年から六二年までの間の料金は、一か月当たり概ね三五〇〇円から四五〇〇円の間であった(乙一二ないし一四)。

小川荘一〇一号室におけるLPガスの使用関係は、昭和五七年八月以降控訴人名義で契約され、その料金は平成元年頃までは灯油代とともに供給店の者が小川荘で控訴人自身から数か月分まとめて集金している。また、右供給店の者が昭和六一年五月頃風呂釜の修理をしたときも控訴人自身が立ち会っている(乙一〇、一一)。

小川荘での電話の使用関係は、高須賀美代子(平成三年に控訴人と結婚)の名義げ契約されて、同人名義の口座から料金が支払われており、その料金は、昭和六〇年から昭和六三年で月額二〇〇〇円余りから四〇〇〇円程度である(乙一五、一六)。

以上のような本件建物と小川荘における電気等の使用状況から考えると、まず、本件建物における昭和六一年一月以前の資料はないうえ、小川荘における電気等の使用料は、控訴人の主張するように民謡の指導者となるための稽古場として使用したとしても首肯できないわけではない程度のものと認められ、控訴人が本件建物に居住していたとの前記認定を覆すに足りるものではないと評価することができる。

もともと控訴人は、妻みよ子との夫婦関係がうまくいかなくなったため、昭和四四年頃みよ子が本件建物を出て妻との別居が始まったものであるが、控訴人は他の家族との葛藤を抱えながら本件建物で居住していたものである。また上記のように息子や娘が独立していなくなれば、控訴人が本件建物で暮らしても、家族間の葛藤に悩むことはなくなるのであり、控訴人が唯一所有する建物である本件建物を空き家にしておくべき理由を見いだすことはできない。また、控訴人は、前記認定のように、自己の営業を含む多くの社会的活動に携わり、その関係で本件建物をその活動の本拠として利用する必要にも迫られていたものと認められる。このような事実関係からすると、本件建物に居住してこれを利用してきたとする控訴人の供述は、信用できるものといわねばならない。被控訴人が提出するそのほかの証拠は、このような事実関係に照らして、採用することができない。

四  したがって、控訴人の請求を棄却した原判決は失当で取消を免れず、控訴人の請求を認容するべきである。

よって、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 今井功 裁判官 淺生重機 裁判官 田中壯太)

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